「1日100円で救える命がある」を意識してしまう。

昨日、帰り際にとある公益財団法人が寄付集めの宣伝活動に勤しんでいる現場に出くわした。

300円くらいいいかなと財布を取り出し、活動してるオレンジのユニフォームを着た男の人に声をかけた。

すると、今日は、現金を受け取れないらしく、クレジットカードの番号を書いてくれと言われ、紙とペンを渡された。

とりあえず、一連の説明を聞き、どうやら貧困地帯の女性を物資支援する活動をしているらしい。

話を聞いていくうちに、日本の円というものは外国の相場に比べてかなり高いらしい。

あなたの100円で一人の女性が救えます。

どうやら生理用ナプキンとか500キロカロリーのピーナッツの食料とかを包装したものを送るらしい。

なるほど、と思ったが、その場でなんとか切り抜けて断った。

話は反れるが、今日、冷凍餃子を2回レンチンして焦がしてしまった。

それは320円する。

宝くじも連番で10枚買った。近畿くじ。1000円だ。

駅の自販機でメロン牛乳を買った。200円。

しめ、1500円。

え?俺、今日で15人の女の子を救えたのか?

いちいち考えると、あれ?これも、え?これも?とか思ってしまう。

いい話を聞いて、思い浮かんだのは、無駄遣いをしまくってるんやなあと思ったりする。

当分、こんな状態かもしれないが、この感覚を忘れたいと思う。

多分、この日本のお金の価値という感覚を植え付けるのが、

寄付活動を促す一番の効果ある方法かもしれない。

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